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ドナーカード [しゃべり日記]

こんばんは、cherryです。

cherryの財布の中にある免許証。この免許証の後に重ねられた2枚のカード。
1枚は臓器提供意思表示カード、もう1枚は日本骨髄バンクドナーカード。
どちらも、自分の意志で記入&登録したものです。
でも、骨髄バンクへのドナー登録をするまでには、2つのキッカケがありました。

1996年、独り暮らしをはじめた地・神奈川県。そこで出会った北海道・網走出身の友人。
五十音順で名前の近かった2人は、実験をする班が同じだったり、背中合わせだったりしました。
そして、いつの間にやら、彼女と仲良しになり、お互い良き相談相手&遊び相手になっていました。

ある夜、プルルルル~~~っとcherryの家の電話が鳴りました。
夜も10時過ぎ。
誰かな?っと電話に出ると、彼女でした。

「cherry・・・眠れないん・・・・」
「どうしたん???」
「あのね、cherry~・・・話聞いてくれる?」

話を聞くと、彼女のお母さんが、血液の病になったのだとか。
さらに、余命宣告までされたとのこと。
神奈川と北海道、帰りたくと直には帰れない状況で、お母さんの事が心配で眠れなかったのだとか。
泣いて、泣いて、泣き顔見せたくないからって、泣かずに話せるようになってから、自分に電話してきたと言う友彼女。そんなところも自分に似ていて悲しかったっけ。

それから2,3年、彼女は、長期休暇になると、北海道へ飛んで帰っていました。
そして、休暇明け、再び帰ってくると、お母さんの話を普通の話の様に話すのです。
ヘタすると笑いながら、
「お母さん、丸坊主でさぁ~。何気に可愛かったよ~。モンチッチみたいなさぁ~」って言う。
その反面、彼女は好物の珈琲を断って、お母さんが元気になってくれるように願っていたのです。

彼女のお母さんが発病してから4年後、自分は、検査技師の卵として病院実習をしていました。
2001年春の事です。
自分が実習を希望した病院は、都内大学附属病院でした。そこでは、膨大な量の検体が毎日、毎日、各検査室に届けられてきていました。
ローテーションでまわる各検査科。血液検査室で実習を行っていた時、本当に強いショックを受けました。
血液検査室では、血液形態、血球成分、血液の病気等を検査する役割があります。ここで、検査技師の卵である自分ですら、明らかに異常と分かる検体を数多く見たのです。こんな状態の体・・・・・命が消えてしまうかも・・・・言葉が出ませんでした。

そして、実習中たまに病棟を歩いていると目にする、頭にバンダナを巻いた子供達。
自分が小学校に上がる前、太陽の下、泥だらけで遊び、走り回り、時に悪戯をした時期、その子達は病棟で生活をしている。
なんとも言えない感情が込み上げてきたものでした。

こういった出来事や、その時々芽生えた気持ちが積み重なって、20代半ば、骨髄移植のドナー登録をしたのです。

でも、ドナー登録をした時、自分の母親は正直あまり良い顔をしませんでした。
「ドナー=危険も伴う」っというイメージがあったようなのです。
でも、それは、今現在健康な子供を持った親だから、持てる気持ちでもあると思うのです。
逆の立場、移植必要な患者を持つ親の立場だったら、移植出来る骨髄があるのなら、欲しいっと言う気持ちを持つと思うのです。
そして、自分も今は、健康でドナー登録しているけれども、骨髄移植が必要な病になった時には、ドナーではなくレシピエントになる訳です。

お互い様ですよね。
そうやって、人って助けたり、助けられたりして生きている生物なのですから。

財布の中には・・・・


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奇跡の再会!!そして感謝(Xdayその後) [人]

こんばんは、cherryです。

前回の記事で書いた幼馴染とのネットを介した再会。今回はその続きです。
その時の記事はこちら→

約26年ぶりの再会場所は渋谷です。

実は、自分、渋谷は行動範囲外でありまして、幼馴染に頼りどうしでした。
ごめんね、幼馴染・・・・[たらーっ(汗)]

幼馴染がお店まで決めてくれて、渋谷・某デパート入り口で待ち合わせ。
なんせ、自分小さいもので、渋谷ハチ公前や、渋谷駅前では見つかりません・・・・。

幼馴染と無事に落ち合ってお互いに手をあげて[手(パー)]再会。

昔のままの幼馴染の顔。直ぐに判りましたよ。
でも、幼馴染の説明では・・・・
「幼稚園時代はポチャッとした顔で、小、中、高、大学時代はシュルッとした顔だったけれど、社会人になって、再びポチャッとした顔になったから当時のままの顔と思うんだよ」

そして、幼馴染も直ぐに自分を判ったそうで、幼馴染曰く
「自分の身長&Facebookの写真で判ったよ。見覚えのある「小いこい」のが待ち合わせ場所に居た」
だとか。


幼馴染と再会したら、身長差25cm以上の差がありました[exclamation×2]

見上げる[グッド(上向き矢印)]自分、見下ろす[バッド(下向き矢印)]幼馴染。

同じ目線、同じ高さの肩の位置、そんな幼稚園時代は今となってはありません。でも、その分、幼馴染の成長に時の経過と、人の成長の素晴らしさを感じた再会の瞬間でした。

落ち合って、一緒に居酒屋・てっぺんへGo!
ここは、本当に人を大事に、そして当り前は当り前ではないと言う事を、従業員全員が思い、示して働いているお店でした。
元気を、そして、温もりを感じた空間でした。

ここは居酒屋。当然、[ビール]ですね。
おやつの時間にジュースを飲んでいた時代から、タイムスリップ[次項有][夜]に2人が手にしていたものとは[ビール]でした[るんるん]

幼馴染と話を始めたら、もう、止まらない。
幼稚園時代の話、学生時代、社会人になってから、仕事、恋愛、やんちゃ等々、話は尽きません。
時間、足りんがな・・・[たらーっ(汗)]
でも、何故か不思議。本当に、不思議。それは、26年という時間のギャップを感じなかったのです。
幼馴染もこれには同感のようで「半年振りに会った様に話していた」っとの事。

お店の方に頼んで2人の写真を撮ってもらいました。子供の頃に並んで撮った写真と並べてみたい写真です。

ハイピース.jpg

子供の頃に、こんなポーズで撮ったよね?

大きくなりました.jpg


お店のスタッフさんに、26年ぶりに会ったんだよっと言うと、驚いていました。
それはそうかもしれませんね、だって、26年ぶりって感がしないのですから。

本当に自然と、話し、笑い,あっと言う間の時間でした。

そして、お店のスタッフさんから、サプライズ!
「メニューを開いてみて」っと言うので、開いてみたら・・・・なんと、2人並んだ写真が挿まれていたのです。
確かに、さっきスタッフさんが写真を撮ってくれたけれど、まさか、この様なサプライズ!をしてくれたとは。
本当に、嬉しかったです。良い記念になりました。お店の方、有難う御座いました。

帰り道、幼馴染の手を重ねてみたら、大きな手になっていました。

久しぶりに自分の隣に並ぶ幼馴染。

幼稚園時代と比べたら失礼で、比較対象にならないけれど、「強さ」と「優しさ」を持ち、「厳しさ」を知った大人になっていました。
そして、「やんちゃぶり」は、当時のまま健在でした(お互い様かな?笑)

ネットが無かった時代に生まれ、お互いの名前の漢字すら知らず、読めずに幼稚園時代に別れた2人。
時が流れ、ネットが日常生活で活躍する時代、2人が奇跡的に再び巡り合いました。
ネットを介した犯罪までが起きる時代、でも、使い様によっては再会という機会も得られる便利なツールです。
そして、26年という長い時間、自分の名前を忘れずにいてれた幼馴染に感謝
そして・・・・・・「有難う」ですね。

頂いた写真はのその後は・・・こちら→


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X day [しゃべり日記]

こんにちは、cherryです。

今年になって再び始めたFace book。

そこで、見かけた幼馴染と同名同姓の名前を発見。

歳も同じ、風の噂で聞いた出身高校も同じ。

「???」もしかして、幼馴染?

幼馴染といっても、幼稚園の時に幼馴染は引っ越して行っちゃって、小学校1年生の時に一度遊びに行っただけ。

その後は、全く会うこともなく、お互いに小・中・高・大、そして社会人10年以上。

Facebookで見かけた同姓同名が幼馴染の確立50%。

仮に幼馴染だったとしても、相手が覚えているかは確立50%。

25%の確立?。


メールを出してみた。

数日後、相手からメールが届いた。

「ビンゴ!」

幼馴染だった。

26年ぶりにネットを介しての再会。

覚えていてくれた、自分の名前。 感謝

幼馴染の写真がアップされた。

写真見て、思わず声あげた「うわぁ~~~○○だぁ!!」

後日、再びメールが届いた。今週末、仕事で関東に来るという。

今週末、26年振りに幼馴染と再会する予定。

浦島太郎の様な気持ち。

大して成長してない自分を、幼馴染は発見できるだろうか?

幼稚園時代、気にっていた絵本。


はらぺこあおむし (偕成社・ボードブック)

はらぺこあおむし (偕成社・ボードブック)

  • 作者: エリック カール
  • 出版社/メーカー: 偕成社
  • 発売日: 1997/10
  • メディア: ハードカバー





11ぴきのねこ

11ぴきのねこ

  • 作者: 馬場 のぼる
  • 出版社/メーカー: こぐま社
  • 発売日: 1967/04/01
  • メディア: -




11ぴきのねことあほうどり

11ぴきのねことあほうどり

  • 作者: 馬場 のぼる
  • 出版社/メーカー: こぐま社
  • 発売日: 1972/01
  • メディア: -



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「アンマー」 ~かりゆし58~ [人]

こんばんは、cherryです。
昨年、久しぶりに自分が好きになったバンドグループがあります。

「かりゆし58」
初めて彼らの歌が耳に入って来たのは、昨年の夏頃。あるTVから流れてきた曲・オワリはじまり。
単に耳に入ってきた歌の歌詞「もうすぐ今日が終わる、やり残した事はないかい。かけがえのない時間を胸に刻み込んだかい」。
それが、心の真ん中にストレートに入ってきたのです。

「『限界を決めない生き方』限界を決めたら人は100%の力を出したと感じたとしても、自分が持っている力の80%位しか出せない。自分であとちょっと・・・・ほんの少しでも前に・・・これが出来たら明日に繋がる
『諦め悪く悪あがき』諦めずもがいていたら、少しだけでも前に進むから」
こんな自分の考えで社会人生活してきた自分には、彼らの言葉がとても、とても心地よく心に浸み込んできたのです。

そんな彼ら・かりゆし58の代表作の1つ「アンマー」は、自分にとって、少しだけ心痛く、ほろ苦い気持ちと、感謝の気持ちが入り混じる曲。でも、とても気にっています。その歌詞の一部がこちら↓


「『ただ真っ直ぐ信じる道を歩んでほしい』と願いこめて 悩みぬいたすえにこの名を私に付けたと聞きました

我が家はあの頃からやはり 裕福な方ではなく 友達のオモチャや自転車を羨ましがってばかり

少し困ったような顔で『ごめんね』と繰り返す母の隣でいつまでもいつまでも泣いたのを覚えてます」


「アナタは私の全てを許し全てを信じ全てを包み込んで 惜しみもせずに 何もかも

私の上に注ぎ続けたのに アンマーよ 私はそれでも気付かずに思いのままに過ごしてきたのでした」


「『強さ』の意味を履違えて、喧嘩や悪さばかり繰り返し 勝手気ままに遊びまわる本当にロクでもない私が

真夜中の静けさの中忍び足で帰った時も 狭い食卓の上には茶碗が並べられていました」


「浴びるほどに飲んだ私が 明け方眠りに落ちる頃、まだ薄暗い朝の街へ 母は出ていくのでした」


「私はアナタに言ってはいけない 決して口にしてはいけない言葉を加減もせずに投げつけてはアナタの心を踏みにじったのに アンマーよ、アナタはそれでも変わる事無く 私を愛してくれました」


「アナタの元に生れ落ちた事は こんなにも幸せだった 今頃ようやく気付きました こんな馬鹿な私だから」

「春先の穏やかな朝に新しい命が生まれました『優しさの中に凛々しさを秘めた人になるように』と願い
アナタに一番好きな花の名前を付けました」


自分自身、親になった訳ではありません。でも、高校卒業後、独り暮らしをはじめて早10年以上。もう直、実家で暮らしていた時間と、独り暮らしの時間が同じになります。独りで生活してみて、初めて分かる「有難さ」「感謝」「尊敬」「厳しさ」「温もり」等々、この曲を聴くとちょっと・・・・・思い出しますね・・・・・過去の自分を。

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言われているうちが花 [人間性]

こんばんは、cherryです。

社会人になって歳を重ねる毎に思う事の1つに『言われているうちが花』っという思いがあります。
社会に出て、若いうちは上の人から指導されたり、指摘されたりする中で、様々な事を気が付き、学ぶものです。しかし、この指導や指摘が時に、鬱陶しく思えたり、分かっている事を言われてみたり、触られたくない部分にまで及んでみたりする事もあったりするものです。

しかし、指導、指摘する側の立場から言ったら、指導したり指摘したり出来る人材である事に恵まれていると思ったりもするものです。そう、指摘しても指導しても馬耳東風の人材では「係わらない」という気持ちが、指導、指摘する側には生じたりすのです。そう、大人の世界で一番怖い待遇ですね。
業務内で、口煩くも指導、指摘されているうちが花。言ってもらえる事に有難さを感じる訳です。

逆に、トップの人材であっても部下に直言して貰えるうちが花。
すり鉢を小脇に抱えて出社、トップの人材相手に胡麻すりしか言わない部下を持っては組織は崩壊の一途を辿るのみです。上に行けば行く程に、直言してくれる人材がいてくれる環境は恵まれている事だと思うのです。

自分の個人的な考えではありますが、下の人材は時に、上の人材に嫌われても直言する事が必要な時があり、それもまた仕事でもあると考えています。
そして、そんな部下がいる事を恵まれていると思う上の人材であって欲しいと思う今日この頃なのです。

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小さな命が呼ぶとき [本]

こんばんは、cherryです。
昨年、某テレビ番組でも取り上げられた実話・小さな命が呼ぶとき。この実話は映画や本としても既に日本で公開&出版されました。
実は、自分はTV番組の放送を見るまで、この実話を全く知りませんでした。
でも、TVを見て今年のお正月は、実話を基にした本を読んでみました。

話を要約すると、アメリカでハーバードビジネススクールを出た男・ジョン クラウリーは、最愛の妻と3人の子供(長男・長女・次男)と供に幸せな家庭生活を送っていた。しかし、この幸せな家庭に悲劇が訪れるのである。3人の子供のうち2人の子供(長女・次男)が治療法も治療薬もないポンペ病になってしまったのである。長く生きても5歳まで生きられるかという2人の子供が背負った運命。その運命に対し、父は愛する2人の子供達の為に出来る限りの行動を起こす。初めは財団を作りポンペ病の研究を行っている機関に支援をはじめ、次いで、ポンペ病の薬を創るベンチャー企業のCEOとなり、そして、ベンチャー企業を他の製薬ベンチャー企業に買収してもらい終にはポンペ病の薬を創り、2人の子供達を救うのである。

彼は幾多の困難にも決して諦めなる事無く、自分の目的である「子供達を救う」と言う事だけに全力を尽くした人物であるのです。自分のゴールに全力投球をする姿勢と、自分の家族に対する深い愛情が本のいたるところに散りばめられて、改めて諦めずに行動する事の重要性と人の愛の深さを実感できた作品でした。

翻訳された本です。

小さな命が呼ぶとき〈上〉 (新潮文庫)

小さな命が呼ぶとき〈上〉 (新潮文庫)

  • 作者: ジータ アナンド
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2010/03
  • メディア: 文庫



小さな命が呼ぶとき〈下〉 (新潮文庫)

小さな命が呼ぶとき〈下〉 (新潮文庫)

  • 作者: ジータ アナンド
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2010/03
  • メディア: 文庫



子供達の父親・ジョン クラウリー本人が書いた本です。


奇跡は起こせる わが子を救うため、新薬開発に挑戦したビジネスマン (宝島社文庫)

奇跡は起こせる わが子を救うため、新薬開発に挑戦したビジネスマン (宝島社文庫)

  • 作者: ジョン・F・クラウリー
  • 出版社/メーカー: 宝島社
  • 発売日: 2010/07/06
  • メディア: 文庫



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湘央生命科学技術専門学校 [学び]

こんばんは、cherryです。
神奈川県は綾瀬市に、全国各地から生徒が集まる専門学校があります。その学校は「湘央生命科学技術専門学校」です。
自分も、10年以上前に、少々お世話になりました。いや、少々ではなく、随分お世話になった学校でもあります。立地面は、お世辞にも良い場所ではありません。駅前ではありませんし、寄り道できるようなお店も限られている。コンビニだって、徒歩10分は歩くでしょう。そんな場所にも関らず、北は北海道、南は九州まで各地から生徒が集まってくるのです。

それには、以下、3つ理由があるのです。

・バイオテクノロジーメインの学科を早期に設置
・実験動物が強い
・基礎技術を徹底的に教える

この学校、1990年にはバイオ学科を設置しているのです。バイオテクノロジーは1985年前後に過渡期を迎え、21世紀までの間、ものすごいスピードで発展してきた分野です。そして、この学校は、バイオテクノロジーの発展と伴走してきたのです。

その過程で、獲得した多くの技術や知識の中で、この専門学校は実験動物という強みを獲得しました。専門学校であっても、実験動物の基礎と応用を専門的&実践的に生徒一人ひとりに教えるのです。

多くの技術者にとって、最初に教わる環境がその後の技術者人生を左右すると言っても過言ではありません。
この学校、基礎をトコトン教え身に付けさせます。試験は机の上だけではありません。実習室で課題を与えて実験、そして結果を出すまでを試験する実技試験を頻繁に行うのです。
これら教育の賜物の所為か、この専門学校を卒業した生徒達が就職した企業に、新たに彼・彼女らの後輩を採用されるまでになっているのです。

2007年、全入時代を迎え、大学を選ばなければ、誰もが大学に入れてしまう時代。当然、大学だけではなく、専門学校でも生徒集めに必死です。そんな時代だからこそ、学校の価値が問われる時代でもあるのです。仮に生徒が集まってくる学校であっても、その環境に満足し甘える事なく、継続的な価値の創造が必須です。また、生徒が集まらない学校は、その学校に所属する教員一人ひとりが経営者的な視点から、行動が求められます。外的要素(経済状況、時代の空気等)は、どこの学校でも等しく受けるリスクであり、外的要素を理由として、学校経営が上手くいかない理由としてはなりません。
内的要素(カリキュラム、地域企業とのコラボ、就職、教育人の姿勢等)をいかに追求していくかにかかっていると思うのです。

社会人20年にも満たない自分ではありますが、自分の職に本気で惚れ込んでいるのか?この事が、人が自分の職に対して真摯に取組むか否かの「差」であると考えているのです。

BtoBマーケティングのカリスマと言うべき、マイケル・E・ポータが医療業界にメスを入れた作品です。


医療戦略の本質―価値を向上させる競争

医療戦略の本質―価値を向上させる競争

  • 作者: マイケル・E. ポーター
  • 出版社/メーカー: 日経BP社
  • 発売日: 2009/06/11
  • メディア: 単行本



人は誰でも、変われる生き物でもあります。言葉で、姿勢で、接し方で・・・・





会話のマネジメント コーチング選書 02

会話のマネジメント コーチング選書 02

  • 作者: M.コノリー
  • 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
  • 発売日: 2004/11/18
  • メディア: 単行本



コーチング5つの原則 コーチング選書 01

コーチング5つの原則 コーチング選書 01

  • 作者: J.フラーティ
  • 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
  • 発売日: 2004/11/18
  • メディア: 単行本



コーチング選書5 コーチングマニュアル (コーチング選書 (05))

コーチング選書5 コーチングマニュアル (コーチング選書 (05))

  • 作者: ソープ&クリフォード
  • 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
  • 発売日: 2005/11/06
  • メディア: 単行本



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使い道 [しゃべり日記]

こんばんは、cherryです。

9月、お世話になった専門学校に特別講義をやりに行きました。その時の記事はこちら→

講義をやりに行った自分が、生徒達から沢山教えて貰った貴重な時間。それなのに、謝礼を頂いてしまいました。そして、このお金は自分にとって、とても、とても大切で記念となるお金となったのです。
このお金、どの様に使おうか?しばらく考えていました。そして、今月、使い道が決定したのです。
その使い道は、キーケースを購入することでした。

改めて振返ってみれば、今まで使っているキーケースは専門学校を後にした年の夏、夜学1年生&社会人1年生の時に購入したものだったのです。当時、お金があまり無くて、¥5000位したキーケースが高くて、でも、どうしても欲しくて買ったものでした。そして、そのまま、使い続けて10年以上。気が付けば見るも無残、減価償却も既に過ぎているであろう姿になていました。でも、常に自分の傍らにあったキーケース。帰宅するのが辛いときも、帰りたくてもなかなか家に帰れない多忙な時も、このキーケースを手に、家の鍵を開けたのです。既に捨てても良いモノでしたが、ここまで供にあると、なかなか捨てられませんでした。

そんな時、頂いた謝金と、専門学校を後にした直後に買ったキーケースとがリンクしたのです。
そして、かねてから気に入っていたふたつのお店の1店・土屋鞄を選択。足立区にある土屋鞄を訪ね、キーケースを購入しました。土屋鞄の詳しい情報はこちらから→

お店を訪ねた時、丁度、希望のキーケースは品切れだったので、後日、送ってもらいました。そして、今月12日、届きました。
白い綺麗な包みに包まれています。
土屋鞄包み.JPG

包みを開けると・・・・
土屋鞄キーケース.JPG
お待ちかねのキーケースがお目見えです。

中はこんな感じです。
土屋鞄 キーケース開き.JPG

裏は、ちょっとしたものが入れられるポケット付きです。
土屋鞄キーケース裏.JPG
これから、新しい自分の相棒キーケースとなるものです。

これから、何度となくmy homeを開ける時に使うであろうこのキーケース。宜しくね!
そして、少しでもお世話になった専門学校に恥じない人となるべく日々精進。



週末の晩酌の友


タグ:土屋鞄
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学習理論 [学び]

こんばんは、cherryです。
学生時代を終えて社会人になれば、学校での机上の学習からは遠のくものです。
でも、学習というものは、学生でも、社会人であっても行われるものでもあり、また、時に必要に迫られるものでもあるものでもあります。
学習するには、個人の能力・適性・力量というコンピテンスが学習に影響を与える事があるのです。
つまり、学習しない人と思えたり、いつの間にか自然とスキルを身に付けている人がいたりする、それには、学習が適切に行われていない場合があるのです。

コンピテンス理論における学習には4つの学習段階があり、無意識の無能から無意識な有能へと進む学習段階があるのです。
この4段階の学習とは「無意識の無能」「意識的な無能」「意識的な有能」「無意識の有能」の段階です。
では、これら4つの学習段階とはどのようなものなのか、見てみましょう。

「無意識の無能」
これは、自分が何かを知らない事に気付いていない状態。そう、この状態は「何が分からないのか分からない」という段階です。

「意識的な無能」
無意識の無能の次の学習段階は、意識的な無能という状態。つまり、自分の能力の無さに気付いた状態です。そう、この段階では、「自分が何を知らないのかを知っている」状態なのです。この状態になると言うことは、何か事が起きて、解決が出来ない状況になったと言う事です。

「意識的な有能」
意識的な有能の段階では、「自分が何を知っているか、知っている状態」です。この段階に至るには、ある分野について、ある程度の学習済みである状況です。つまり、この段階では、自分が学習した事を基にして、学習した事について知っている事については、学習した通りに物事を行う事が可能な状態でもあるのです。

「無意識の有能」
この段階では学習した知識とスキルを頻繁にしようした事で、それが習慣になり、意識しなくとも次の行動が取れる状態です。
つまり、この段階では、意識しなくても、習慣として、ある行動に対して行動が自然と出来てしまう状態なのです。

これら4段階の学習理論を知ると、自分が人にモノを教える時に役立つものだと思えるのです。
つまり、この学習理論から、「何故、分からないのか?」「何故、進歩が見られないのか?」っと言った教える人に対しての疑問から、どの様に教えたら、人が物事を覚え、それらを習慣化してくれるのか?と言う疑問と、その疑問解消の為の行動を行えるキッカケが得られると思うのです。

職場で、私生活で何故分からない?っと腹立たしく思うよりも、教える対象者の学習段階を推測し、少しでも学習の次の段階へ進める為のレクチャーをする事をしてみてみる事が発展的で良いのではないかと、考えるのです。

おススメ本


タグ:学習理論
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野村克也氏講演会 [人]

こんばんは、cherryです。
10月17日(日)、元楽天監督・野村克也氏の講演会に行ってきました。
実は、cherry、ヤクルトファンなのですが、野村克也氏が監督になってからは更に、ファンに熱が入った1人なのです。高校時代、野村克也氏の采配でBクラス常連ヤクルトがリーグ優勝&日本一になった事は嬉しいニュースでした。ヤクルトが良い試合をすると、スポーツ新聞片手に通学、自分の駅伝予選の帰路、駅の電光掲示板でみた日本シリーズの結果に涙、また、日本シリーズ初戦勝利時には、早朝駅にスポーツ新聞を買いに走る、そんな高校3年間でした。

ヤクルト時代、野村氏は、ヤクルト選手に人となり、人を育てる教育を選手に施したそうです。ミーティングの初日は、野球の話は無しにして、人として大切な事を選手に話したそうです。
「人は、行動が変われば、人生が変わる」野村氏が監督時代言った言葉です。勝つ為に、限られた人材を活かし、得られる限りの情報を獲得して、Bクラス球団を優勝に導いた野村克也氏。

「ぼやき=野村氏」というイメージがある野村克也氏ですが、人として、彼の考え、生き方は自分にとって参考になる姿なのです。
そんな自分にとって特別な存在である野村克也氏の講演会が近場であるという事で、早速エントリーしました。
当日、14時半から受付、15時半から開演という事で、14時40分には会場に到着。会場に到着すると、既に長蛇の列が出来上がっていました。
15時過ぎに会場に入って着席。そして、15時半、野村克也氏登場です。会場はものすごい拍手、拍手が沸き起こりました。
今回の講演テーマは「野村流人の輝かせ方~輝く市民(ひと)が溢れる地域(まち)へ~」です。自分は、手にボールペン&手帳で準備万端。自分の為になる言葉はメモって、自宅で復習の材料にします。
野村氏は、野球から得た経験を元に約1時間半、話をしてくれました。最後にはサッチーこと、野村克也氏の奥様、沙知代夫人が登場。夫人曰く、この千葉県は自分の先祖の出身地であり、先祖が眠る場所なんだそうです。
講演中、心に残ったいくつかの言葉をここに紹介したいと思います。

「人間、何を残すかで値打ちが決まる」
「上の人間が持つ力量以上に下は伸びない」
「組織に仲良しグループはNG」
「現場の意見はきちんと聞く」
「人生には3人の友達を持て。それは、原理原則を持つ人。先生となってくれる人。直言してくれる人。である」
「人の評価とは点数では表せない」
「見ている人は、必ず見ている。」
「人を使う為に必要な事、その根底にあるのは愛情であり、自己中心的な指導は組織崩壊する」
「思考と行動は密接にリンクする」

上記した言葉、自分が思っている事と一致していて思わず納得してみたり、耳が痛い言葉だったり、改めて心に刻んでみたりした言葉でした。




お奨め雑誌


タグ:野村克也
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